形を持つことの大切さ

投稿日 : 2014年02月04日, カテゴリー : 塾長のBLOG

世の中で永らく存在しているものはすべて形を持っています。逆から言うと形のないものはすぐに消えてしまいます。

日本人はいにしえの昔からこのことに気づき、大切なものを形という入れ物を作って、伝承させてきました。たとえば、宗教的な儀式や冠婚葬祭、茶道や剣道などがその範疇に入ります。

そしてこのことは私たちの日常にも当てはめることが出来ると思います。私たちの日常は慣習や法律や規則などで、ある意味がんじがらめにされています。普段はそのことに気づきませんが、それを破ったときに気づきます。たとえば、挨拶を例にして考えてみましょう。どの時代にも、どの民族にも挨拶があります。それは人と人との関係を円滑にする手段として、挨拶は非常に有用だからです。挨拶は言葉だけではない、態度や表情を伴った、全人格的なものです。挨拶に言葉的な意味はほとんどありませんが、挨拶をされた人の立場から見れば、自分にどのくらい好感や尊敬の念を持っているかすぐにわかります。挨拶をするという形にはそのような深い意味がありますから、その形を無視したり崩したりすると人と人の間に軋轢が生じ、その時になって初めて挨拶の大切さを知ることになるのです。

ところで、人間の生き方についても形を持たなければいけないと思います。母親として父親としての形、仕事上での自分の形、仲間内での形などを人は使い分けながら生活しています。人が人を理解し信頼するのはその人の外形から判断します。服装、態度、話し方などの形がしっかりした人間は好感をもたれ、信頼されます。外形がしっかりしている人は内面がしっかりしているからです。つまり、人間としての在り方という形が定まっているから、その現れとして服装や態度や話し方がしっかりすると私は考えています。

しかしながら、形が大切だとは言っても、それに囚われて身動きできなくなっては本末転倒です。融通が利かない、頑固者にはなりたくないものです。

形はなくてはなりませんが、常にその形を崩して、もっといい形、もっと大きな形にしてゆく努力をしなくてはなりません。能の極意を表した世阿弥の「風姿花伝」に言う「守破離」に近いと思っています。

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